衆妙集 玄旨(細川幽斎)著 写本

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22.6×15.9㎝
全99丁
【内容】詠百首和歌 1丁表詠二十首和歌 10丁裏春部     12丁裏春(夏の誤)部 27丁裏秋部      30丁裏冬部      38丁表戀部      43丁裏雜部 上    49丁表雜部 下    65丁表~68丁裏《續續群書類従掲載の『衆妙集』はここまで【画像4・5参照】》
ことし天正十五(1587)三月はじめ・・・・70丁表
跋 98丁表 寛文第十一(1671)季冬雅章
右一冊以飛鳥井雅章卿以自筆本遂寫切一校了 寛文十三(1673)年三月日 99丁表
 享保歳次(十1725)乙巳十月朔旦   春海山遊民質直臧本 99丁裏
【因みに】『續續群書類従』掲載の『衆妙集』跋文【画像 5参照】には 寛文第十一暦季冬 雅章 とあり。
また、出品本は、早稲田大学図書館蔵『細川幽斎家集(内容は『衆妙集』と同じ、)』写本と同じ内容であり、續續群書類従掲載の『衆妙集』の無い部分との関連は不明である。寛文十三(1673)年一校時に追加されたのかも知れない。
【参考】玄旨 細川幽斎 日本大百科全書(ニッポニカ)細川幽斎(1534―1610)安土桃山期の武将、歌人。近世細川家初代。天文3年4月22日、三淵晴員(みぶちはるかず)の二男に生まる。一説に足利12代将軍義晴の四男。幼名万吉、与一郎と称す。1539年(天文8)細川元常の養子となり、46年、13代義輝、初名義藤の一字をもらい藤孝という。73年(天正1)織田信長から山城国長岡の地を与えられ長岡姓を称す。80年丹後国宮津に居城。82年本能寺の変で剃髪し幽斎玄旨と称し、嫡子忠興に譲って丹後田辺城に移る。のち豊臣秀吉の下で活躍。三条西実枝に歌、千利休に茶を学び奥儀を極める。関ヶ原の戦いで石田三成方に攻められ田辺に籠城、死を決したが、歌道の絶えることを恐れた後陽成帝の勅命で和睦、古今伝授は八条智仁親王に無事伝えられた。『詠歌大概抄』『伊勢物語闕疑抄』『衆妙集』の著あり、有職故実にも詳しい。子忠興は、関ヶ原の戦功で豊前・豊後三十九万余石を与えられた。慶長15年8月20日京都に没す。京都南禅寺天授庵に葬られる。追福のため、忠興は小倉に泰勝院を建て、肥後入国後に移して泰勝寺とした。
※表紙の綴じ代部分の破損が酷いので、簡単な裏打ちをした。「澱粉糊(ご飯を練って水で溶いたもの)」で行ったので、水で濡らすだけで原状に戻す事ができる。※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、虫喰あり。※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。

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